パーソンズのマッカーシズム論と現代日本のナショナリズム
パーソンズ(Talcott Parsons),「アメリカにおける社会的緊張」とその「追記」
『政治と社会構造 上』1969=1973 新道正道監訳,誠信書房 所収
マッカーシズム(McCarthyism)とは、1950年2月にアメリカ合衆国上院で、ジョセフ・レイモンド・マッカーシー上院議員(共和党)が「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発したことを契機に、ハリウッド映画界などをも巻き込んで大規模な「赤狩り」に発展した事件。後にはニューディーラーまで対象となった。
・・・マッカーシーはその告発対象をアメリカ陸軍やマスコミ関係者、映画関係者や学者にまで広げるなど、マッカーシズムは1950年代初頭のアメリカを恐怖に包み込んだが、マッカーシーやその右腕となった若手弁護士のロイ・コーンなどによる、偽の「共産主義者リスト」の提出に代表される様な様々な偽証や事実の歪曲、自白や協力者の告発、密告の強要までを取り入れた強引な手法が次第にマスコミや民主党から大きな反感を買うことになる。
・・・その後1954年3月9日には、ジャーナリストのエドワード・R・マローにより、マローがホストを勤めるドキュメンタリー番組「See it Now」の特別番組内でマッカーシー批判を行い多くの視聴者から支持を得たことを皮切りに、マスコミによるマッカーシーに対する批判が広がった。その後同年の12月2日に、上院は65対22でマッカーシーに対して「上院に不名誉と不評判をもたらすよう指揮した」として事実上の不信任を突きつけ、ここに「マッカーシズム=アメリカにおける赤狩り」は終焉を迎えることになる。
マッカーシズムの是非については、『諸君!』所収の中西輝政論文も含めて色々あるみたいだけど、そっちには触れません。
パーソンズの論文は1955年が初出なので、すでにマッカーシズム批判が盛り上がり、終焉を迎えつつある中で発表されたものということになる。
パーソンズのマッカーシズム論は、大きく3つの段階に分けて整理できる。
- まず、社会変動に伴う持続的な社会的緊張によって、対立の構図が決まる: 政府の力を拡大しようとする「東部貴族・知識人」vs.個人主義・放任を求める産業界・西部
- 次に、外在的・偶然的な要因によって、争点が選び出される: 国際情勢+1.に由来する選択性 → 「世界共産主義」「容共主義」
- さらに、ある種の社会的条件のもとで対立がバブル化する(信用のデフレーション): 西部の人たちのアンビバレント性(国家に忠誠を誓いたいが、個人主義も捨てがたい)や共産主義概念のアンビバレント性(たいていのリベラルな人は、共産主義者と疑えないこともない)に由来する
以下、詳細。
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パーソンズによれば、マッカーシズムは単なる政治的反動やネオ・ファシズム、ネオ・ナショナリズムではない。むしろ、「アメリカ社会の状況と構造との主要な変化に伴う緊張の一つのかなり激しい兆候」だと考えるべき。突発的に一部の偏向した人たちが騒ぎ始めたのではなくて、その背景には、アメリカ社会が全体として抱えている問題・構造変動があるのだ、と主張する。
では、その構造変動とは何か。
従来アメリカでは産業界の実業家が社会一般(政治など)のリーダーになっていたが、ニューディール期ごろから、実業家とは別の勢力が進出してきた。東部都市出身の「ヨーロッパ的な貴族」(職業的政治家や有力弁護士、高級軍人など)たちと、いわゆる「知識人」たち。さらに、こうした「東部貴族や知識人」の高慢さに不満を持つ西部の農業経営者や新エリートもいた。マッカーシズムは、こうした「東部貴族や知識人」vs.その敵、という構図をとっていた。
また、従来のアメリカは個人主義・私益重視の「小さな政府」で済んでいたが、労働問題や国際情勢の変化などから、政府の力を増大させる社会的な必要が出てきて、ニューディール期ごろから政府の力が拡大していった。このことが、アメリカ社会に緊張を生んだ。緊張の焦点になったのは、政府の力が増してくると同時に、第二次大戦以来、国際情勢に対応するために国家的団結が求められる中で、国家への忠誠をどう考えるかという点である。
緊張下では、緊張・困難の源泉と考えられるもの(本当にそうである場合もあれば、間違っている場合もある)に対して、高度の不安と攻撃が集中してしまいがちである。一定の具体的かつ象徴的な発動者が、満足すべき状態を勝手にひっくり返したのであり、彼らさえ排除してしまえば、かつてのように「すべてがうまくいく」ようになる、という発想。これは過去を幻想的に美化して、そこに希望を見出す点で「退行的」とも言える。
特に緊張を強いられ、どっちつかずのアンビバレントな状況に追い込まれていたのは、中西部・西部の農業経営者・新エリートたちである。彼らは一方で社会の中心的課題に応えるべく、愛国的動機から国家に対して忠誠を誓いたいと願うが、それは彼らの職業形態や身に染みついた価値観(個人主義的伝統、フロンティア精神)と矛盾してしまう。
このような状況において、不快な義務、たとえば高い税金を払うことを忠実に受け入れることにとくに強い抵抗がある場合、とかく不忠誠な意図を他人におっかぶせることになりやすい。(252)
また、従来権力を握っていた産業界・実業家も、ある程度はこうしたアンビバレントな選択を抱えており、マッカーシズムに賛成しがちだった。
では、彼らはどのように敵をつくり、どのように批判をしたのか。マッカーシズムの場合、国家への貢献・忠誠が鍵になった。「(世界)共産主義」が敵になり、共産主義者は国家に対して100%の忠誠をしていないと批判された。
さらに、「共産主義」が漠然と持っている民主主義・人権といったリベラル思想(自由主義思想)との親和性を活用して、「容共主義」であるとしてリベラルな人が幅広くマッカーシズムの対象になった。もともとの社会的緊張は政府の力の拡大が引き起こしたものだから、政府の拡大を進めたニューディーラーら現実主義者も攻撃対象となった。当然の帰結として、「東部貴族」の象徴であるハーバード大学や行政機関は、容共主義の温床として激しく攻撃された。
ただ、リベラルなものが何でも批判されたわけではなく、かなりの選択性があったことも重要。制度的な部分では公教育での人種差別の撤廃や労働運動への譲歩などが同時に進められていた。これは、マッカーシズムの根元が政治の領域にあり、その攻撃対象があくまで政治的な部分に限られていた(経済・社会の領域にまで波及していない)ことを意味している。また、個々人が実際に負担をしないといけないような積極策までは論じられなかった。
私たちは、一方では面倒なことを避けたいと思う。しかし、他方、私たちは敵を確認して、それをただちに粉砕したいと思う。・・・この場合の[中国との関係についての]幻想は、思い切った行動をとれば、中国の状況をただちに「一蹴」することができ、私たちの心配の種はなくなるであろう、といったもののように思われる。(260-1)
パーソンズは、マッカーシズムは要するに社会的緊張に伴う国民的自信の喪失、信頼の危機であると総括している。
で、彼は処方箋として、国民が社会的緊張に伴う不安を克服し、自信を取り戻した上で、政治勢力に経済界と政治エリートの二つがあることを認め、それらのバランスをとっていくこと、現在の規範的秩序・集合的組織の枠内での「制度化された個人主義」が重要だと述べる。
「追記」では、アンビバレントな状況がマッカーシズムに至る過程について、もう少し説明を加えている。パーソンズによれば、それは「信用のデフレーション・取り付け騒ぎ」だった。平均的市民が国家に対して一定の忠誠を持っているという信用にいったん疑問が生じると、疑問が疑問を生んで信用がどんどん失われていき、絶対的な国家的忠誠しか信用できない状態に至る。当時のアメリカで起きたのは、こうした信用のデフレ現象だったのである。
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パーソンズのマッカーシズム論は、昨今の社会情勢(日本のナショナリズム、米国の対テロ戦争など)にどう適用できるか、あるいは適用できないか。
パーソンズの議論は、表面的にはイデオロギーの噴出にしか見えない現象の背景に、社会構造の変化と、それに伴う社会的緊張があるという論じ方である。
たしか高原さんの議論は同型のもので、現在のナショナリズムの光炎の背景には、若者の雇用の流動化と、それに伴う親世代(生活保守主義)への不満・将来への不安といった社会的緊張がある、と述べていた(ような気がする)。
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マッカーシズムの場合は国家の拡大が危機を引き起こしているわけだが、現代日本の場合はむしろ国家の縮小によって引き起こされた緊張なのかな。