テオドル・ベスター『築地』

築地

築地

非常におもしろい。米国人の人類学者が、築地の魚市場でフィールドワークをおこなったもの。

世界最大の魚市場、築地。夜明け前から、極上の魚を求めて集まる魚業者や寿司職人でにぎわい、その独特の風景に魅せられて外国人観光客が集う東京のランドマークである。・・・停滞した日本経済、流通や消費の変化、水産物貿易のグローバル化を背景に、築地市場の日々のにぎわいは展開する。ベスタ−氏は築地という空間の光景、息づかい、ざわめき、リズムを生き生きと描き出すことによって、その内部に息づく豊かな文化、日本の食文化における築地の役割、そして、17世紀初頭より築地市場を形作ってきた商人の伝統をみごとにあぶり出す。

http://www.people.fas.harvard.edu/~bestor/Tsukiji_japanese_abstract.htm

日本人が知っていそうでじつは知らない築地市場について、著者がフィールドワークのなかで見聞きしたエピソードに載せながら語っていく。築地や魚にかんする蘊蓄の数々も興味深いのだが、そうした脱線をまじえながら語られる築地の「市場」としての性質がまたおもしろい。

この本の学術的な主題は、築地市場で展開される文化・慣習に根ざした経済活動の分析である。
制度派経済学(ウィリアムソン)や経済社会学(グラノヴェッター)の先行研究を引きつつ、それらよりも文化的・慣習的な側面を重視する点で特徴を出そうとしている。

本書は・・・、取引や経済的制度の民族誌とでもいうべきものだ。取引や経済的制度は、日本人の生活の文化的・社会的傾向に深く根付き、かつそれらによって形作られているからである。経済がーー市場がーーモノやサービス、金融資産のみならず、文化的社会的資本の生産と循環によってできあがっている、その仕組みについて記した民族誌なのだ。(10-11頁)

第1章から第4章は築地の魚市場の歴史と現状、築地が日本社会ではたしている役割についての説明(日本人は生の魚が好きとか、日本のテレビは料理番組ばかりとか、アニメのキャラクターの名前まで「サザエ」や「アンパン」マンであるとか)。

第5章と第6章は、築地市場の制度的・組織的な基盤にかんする説明。血縁・婚姻・師弟などの個人的な絆にもとづく強固な人間関係と、国・東京都が管理する卸業者(7社)→せり人→仲卸業者(約900)の免許制度が築地の市場活動のベースになっている。築地での取引活動は、生産者・供給者から卸業者へ(垂直統合が多い)、卸業者から仲卸業者へ(せり)、仲卸業者から買付け人へ(場内の店舗での販売)の3種類に分けることができる。よく知られているような「せり」が行われているのは、卸業者と仲卸業者との取引の局面である。

本書の眼目は第7章で展開される市場取引のエスノグラフィーにある。
入札はジェスチャー方式(鮮魚)か筆記方式(塩干魚)か、1回限りの入札か増額可能な入札(マグロのせり)か。こうした取引形態の違いは、一見するとささいな慣習に見えるが、経済学的に見ると大きな意味がある。供給量が限られるマグロについては、卸業者の市場力が強いため、買い手である仲卸業者が高い値をつけてしまいがちな増額可能な公開入札(ジェスチャー方式)になっている。ただ、マグロは解体してみるまで中の状態が正確にはわからず、一本あたりの金額も大きいため、買い手は大きなリスクをかかえる。それを緩和するため、大はずれのマグロ(寄生虫や「やけど」など)を買ってしまった場合、買い手に過失がなかったことを示せば価格調整してもらえるという制度も設けられている。せりの方式の違いは、売り手と買い手のどちらが有利かというパワーバランスをじかに反映しているが、そのもとで市場での取引活動を円滑に維持するため、力の弱い側を救済するような細かな慣習・制度が並存しているのが築地市場の特徴である。こうして人間関係の絆や反復的な商取引関係が維持されている。

おおよそどんな経済活動の現場であれ、何らかの暗部をかかえているものだが、ベスターは築地市場の暗黒面についてはあまり言及していない。なぜかせりのない日の深夜に起きる火事に触れたり(516頁)、常連の買出人のひとりから「みんなが馴染みの仕入れ先にこだわるのは、そこがよそより信用できるからじゃなくて、よそより疑わしくないからなのさ」という発言を引き出したりしているが(372頁)、ベスターは深追いしていない。たまには築地というシステムの裂け目も見せておかなくちゃ、というエクスキューズの雰囲気がなくもない。個人的な絆と反復的な商取引をベースにした築地市場のしくみは、全般に好意的に書かれている。

ベスターの記述には予定調和的な部分もなくはないが、よくできた紹介文を読まされている気にはならない。ベスターの調査が行き届いていて、写真や地図、具体的な数値(マグロの可食部分は総重量の50%くらいとか)や固有名詞がふんだんに盛り込まれ、魚商人たちの人間ドラマがいきいきと描かれているからだ。しかも、築地で起きていることを書きつらねるだけでなく、それらが日本社会や世界経済のなかでもつ意味合い・特徴を一歩引いた目でとらえ、簡潔・的確に記述する腕もお見事。非常によくできたフィールドワーク研究だと思う。

読み終わってから気づいたけど、著者のベスターは、ドーアと並んで玉野先生が言及していた人だね。玉野さんの本もおもしろいけど、こっちもおもしろい。オススメです。