玉野和志『東京のローカル・コミュニティ』

東京のローカル・コミュニティ―ある町の物語一九〇〇‐八〇

東京のローカル・コミュニティ―ある町の物語一九〇〇‐八〇

第1章 東京の発展と「この町」の成立
第2章 町内社会の成立と展開
第3章 お神輿と町内社会の世代交替
第4章 母親たちの挑戦
第5章 もうひとつの地域
第6章 さらなる都市化と地域の変貌
付録 方法論的な補遺

山手の住宅地と下町の商店街・町工場の情緒をあわせもった「この町」.ひとりの社会学者が住民への丹念な社会調査を通して描いた四つの物語――町内会体制の成立,世代継承としての祭り,母親たちの教育文化運動,創価学会の地域活動.それは大正・昭和期の東京の生きた歴史である.

という紹介文にだいたいの内容は表れていると思うのだが、1986年から1999年までの期間、およびその後も、一つの町をずっとフィールドワークした調査の結果をまとめたもの。さすがに長年調査しただけのことはあって、オブラートにくるんではあるものの、「この町」のいい面悪い面、さまざまな顔が重層的に浮かび上がっている。各章で出てくる「この町」の姿はきわめてリアルで、個々の記述の一つ一つが「そういえばそんな感じだった」と子供の頃の思い出を刺激して、戦後日本の都市の具体的な姿を開いて見せた非常な労作だと思われます。

この調査の(社会学的な)狙いは以下のとおり。

かつて日本の社会が本格的に都市化していった時期には、これで村落的なしがらみがなくなり、人々は土地や地域の制約から自由になれるという論調が一般的であった。ところが、いつの頃からかやはり人間はある程度土地に定着して生活していくもので、それほど日頃からべったりとはしないにしても、いざというときにはやはり助け合えるだけの地域的なつながりが必要なのだといわれるようになってきた。・・・それでは、われわれは都市的で移動の可能な社会の中で、どのように地域社会を生きてきたのか、少なくとも地域における何らかの共同を維持してきた人々は誰であり、どのようにそれを育んできたのか、そのことをまず確認する必要がある。(18-19)

一つ気になったのは、著者がストーリー性を重視したためか、この本全体の目的が少し見えにくくなっていること。上述の狙いの記述も、うっかりすると見落としてしまいそうだった。この本に取り上げられた4つの物語(2章〜5章)が全体の中でどのように位置づけられるのか、そもそもなぜこの4つなのか、も冒頭部分ではっきりとは書かれていない。

しかしこの4つは、都市における「町」とは一体何か、を明らかにするという明確な社会学的意図があって選び取られたものなのです。

まずは、「町」と言ったときに最初に想起されて、ベースになる部分について見ている。第2章では東京のような都市の中で町内会を中心にして「町」がどのように成立したのか(第一世代)、第3章では、こうして成立した「町」が「伝統」をもったかけがえのないものになっていく過程(第二世代)を記述している。

その上で、こうした表の顔、町内会体制とは違う町の側面を見ていくことになる。その一つが町内会の部分的承認と反発の中で、町内会とは別の組織編成(革新自治体の頃は、「町内会」と対比して、こうした動きこそが「コミュニティ」と呼ばれていたらしい)で進められた母親たちの活動であり(4章)、もう一つが、町内会とは距離を置きつつ「町」の中で信仰を通じた強い社会的連帯を形成してきた創価学会の活動(5章)である。

このように、都市における「町」とは一体何か、という問いに対して、「コミュニティが大事だ」とか「町の伝統なんて作られたものだ」といったような教条を掲げることなく、1900〜1980年という80年間(!)のスパンで表裏さまざまな面から丹念に見ていったのが、本書なのである。

しかも、これら4つの章で取り上げられた人たちの活動から「町」が成り立っていることは、サーベイ調査でもはっきりと示されている。

86年調査の集計結果によって、なんらかの地域集団に参加して活動する4種類の人々が弁別された。町会を支える高齢層、旧来通り保守政党支持だが活動的な壮年男性、同じく活動的だが支持政党なしの壮年女性、そして創価学会員と思われる人々である。その後の調査は結果として長い年月を費やすことになるが、行ったのはこの最初の調査の知見を具体的に裏づけていくという作業であった。(281)

なるほど、と納得なのだが、やっぱりこういう事実は巻末ではなく本の冒頭でばばーんと書くべきではないかと。「方法論的な補遺」を読んで、ようやく全体の社会学的構図がはっきりと見えて、しかもそれが定量的に裏づけられていることがわかった。

本書は「明快なストーリー」「小説風の物語」「物語風にまとめられた事実の提示」として書かれていて、フィールドワークをする上でこんなデータを集めた、こんな工夫をした、こんなに苦労した、みたいな話はほとんど書かれていない。そして、最低限のことだけが社会学者向けとして巻末にまとめて書かれている。

「明快なストーリー」という著者の狙いは十分に果たされていると思うのだが、ちょっと気になるのは、調査のノウハウや苦労話というのは、実は社会学者だけでなく、一般の人が読んでも楽しめる部分じゃないかなあ、むしろそういうのを織り込むことで、一般読者の関心を強く惹きつけられるのではないか、という点。

広く読まれているジャーナリストを何人か考えてみると、本田勝一さんにせよ日垣隆さんにせよ、おれはこんなふうに調査したのだ、まねできないだろ、すごいだろ、というのを結構前面に出していて、それをみんなが楽しんで読んでいると思うのですよ。

本書で行われている調査も、それこそ「ドーアやベスタのような外国人」(305)だけでなく、日本人の社会学者でもなかなかできないレベルに達しているのだから、調査のすごさみたいなのをもう少しアピールしてもいいのかな、という気がしました。