Googleはメディア+広告代理店

以前に書いたGoogleネタの補足。

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

この本の概要は、

  1. いまのGoogleAdwords(検索語によって広告を表示)、Adsense(ホームページの内容によって広告を表示)による広告収入で成り立っている、広告代理店である。
  2. そのビジネスモデルは、高度で便利な機能を無料で提供して多くの人を集め、利用者を広告へと誘導することで、広告主から収入を得る。テレビと基本的に同じ。
  3. 広告代理店としての特徴は、これまでの広告だと「オーバースペック」(目的と比べて対象が広すぎる)になって、広告が出しにくいニッチな広告を打ちやすいこと。メッキ工場とか、羽田空港の利用者用の駐車場とか。
  4. たしかにGoogleは当初、検索ロボット(PageRank)だけを持ったテクノロジーの会社だったが、今では広告代理店と同じビジネスモデル・利益構造であり、諸々の政治的圧力にも当然屈しやすい(無料サービスの利用価値を減らすようなことはしないだろうが)。

本書によると、広島の原爆ドームの解像度が低かったのと同様に(前回記事参照)、米軍基地やホワイトハウスについても精密な航空写真は見られないようになっていたらしい。他方で、他国政府から政府施設の航空写真を出されるのは困るという抗議を受けた際は、「この写真は誰でも利用可能なものを弊社が使っているに過ぎない」と言って取り合わなかったらしい(224-225)。
前回記事で書いたように、まあ政治的圧力に屈するのは必然だろうが、情報の公正さを保証する責任、あるいは説明責任を負わないまま、広告代理店とメディアそれ自体を兼ねていくのは、たしかに何か不健全な気がする。

もともとGoogleは反権威的(この場合の権威はYahoo!や既存大企業、行政機関)なインプリケーションを持ったところが、フリーソフトGNU GPLとかが大好きなネットユーザーの好みに合致して拡大してきた、という部分があったと思う。自分のことを考えても、何か誇らしい気持ちで、Yahoo!ではなくGoogleを使っていた時期があったような。

そのため、行政権力のネットへの過剰介入を嫌う動きの中で、Googleも守られてきたのではないか。

しかし、Googleはもはや技術だけの会社、アルゴリズムの結果を提供するだけの会社ではない。GNUmozillaなどのコミュニティに集う自主独立なフリー人間と、Googleは分けて考えないといけない(もちろん、人の面でも気質の面でも、共通する部分は相変わらず大きいだろうけど)。

総務省の権力がこれ以上増すのはよくないので、行政による規制というわけにはいかないが、物事を公平に処理しなければならない、公平に処理したことを証さないといけない、という(マスメディアなどが負わされている)積極的な倫理的義務を、Googleも負うべき時が来てるんじゃないのかな。