未来予測は専門家の仕事?市場の仕事?

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

ゴールトンの観察した、牛肉の重量当てコンテスト。800人の参加者が行った予測の平均値は1197ポンドだったのに対し、正解は1198ポンドであり、予測の平均値は驚くほどに正確だった。参加者の大半は重量当てについて何の能力も持っていないのに、なぜこんなに正確な結果が出てくるのか。

もう一つ、1968年5月に消息を絶ったアメリカ海軍の潜水艦の事例。広さ32キロ四方の範囲で探さないといけない。それぞれ別の知識を持っていそうな人たち(数学者、潜水艦の専門家、海難救助隊など)に別個に位置を予測してもらい(シーバス・リーガルのボトルを賭けた)、ベイズの定理?を使って情報を集約した。集合的な予測は、実際の潜水艦の位置と200メートルしか違っていなかった。

こうした事実をもとに、著者は大胆な主張を展開する。

専門家を追いかけるなんてことは間違いで、しかも大きな犠牲を伴う間違いだというのが本書の主張だ。専門家を追いかける代わりに、集団に答えを求めるべきなのだ(p11)

とは言っても、集団であればいつでも正しい答えを出せるわけではない。群集心理とか「衆愚政治」とか、みんなで間違った方向にまっしぐら、ということもある。それでは、正しい答えを出せる賢い集団の条件とは何か。著者は以下の4つを挙げる(p27-28)。

  • 意見の多様性:それが既知の事実のかなり突拍子もない解釈だとしても、各人が独自の私的情報を多少なりとも持っている
  • 独立性:他者の考えに左右されない
  • 分散性:身近な情報に特化し、それを利用できる
  • 集約性:個々人の判断を集計して集団として一つの判断に集約するメカニズムの存在

こうした賢い集団を、ある意味で典型的に表現しているのが「市場」である。市場はさまざまな私的情報を持った多様な参加者を抱え、各人が自己利益を最大化しようと独立して動き、そうした振る舞いが市場メカニズムによって「価格」へと集約される。

ここから、賢い集団の機能を有効活用するものとして、未来予測市場というアイディアが出てくる。「いつどこでテロが起こるか」などの政策的テーマを予測させて、当たると報酬が出るという仕組みである。米国ではすでに試験的な試みがいくつか始まっているらしい。悲劇を予測させるのは不道徳だという批判もあるが、しかし、CIAは予測をやってよくて、一般の人はよくないという道徳的な理由はない、と著者は反論している。

CIAなどが採ってきた従来のモデルは、少数の精鋭に情報を集約させるというものである。未来予測市場とどちらが優れているか。著者の主張は、すべての情報を集約して処理できる精鋭などというのは存在しえない、というものである。その点、市場は精鋭よりも広い範囲の情報に反応して動いていくので、より正しい結論に近づく。

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ここでのポイントは、「予測」ということだろうね。何らかの実践を伴うならば、当然その道の専門家にしかできない。乗用車を前にして、それの最高時速が何?かは誰でも予測できるし、おそらくカーマニアが最も正確に予測できると思うが、カーマニアは乗用車を自ら作ることはできない。自動車を作れるのは、自動車の専門家だけである。

予測というのは、専門から見て、きわめて外在的な行為である。予測という形でしか問題に関われないならば、その人はもはや専門家ではない。・・・というのはさすがに言い過ぎだが、専門家というよりは「評論家」と呼んだほうがいい存在になってくる。国際情勢の「専門家」はこの点でビミョウな位置にあるし、マスコミを情報源にして時流に乗った研究をしている社会学者もかなり危ない。

科学と予測の関係について考えてみると、すぐれた科学はしばしば予測する能力を持つが、その本質はむしろ、予測と評価を可能にするようなモデル構築・条件整備と、その条件の下でのデータ生産にあると思う。えられたデータを使って未来を予測するのは素人でも可能だが、予測する際に使うデータや予測結果を評価するのに使うデータは、専門家でないと取得/生産できない、というのがポイント。専門外の人たちは、専門家の作ったデータ・枠組に寄生して、予測を行うことになる。

ただ、そうだとすると、行政からもらうデータを使って議論するだけの審議会の学者委員たち(もちろん、自分で研究をしている委員もいるけど)は一体なんなのか、という話になる。あれはほんとに、未来予測市場なりなんなりで代用してもいい気がするなあ。