科学論の第三の波

今日は科学社会学の文献紹介。

H. M. Collins & R. Evans, “The third wave of science studies: Studies of expertise and experience”, Social Studies of Science, Vol. 32, No. 2 (2002), pp. 235-296.

科学社会学の第一人者が、これまでの科学論の流れを総括・批判して、今後の進むべき方向について議論している論文。

近年の科学論、サイエンス・スタディーズでは、専門家だけで行われがちだった技術的問題の意思決定を、いかに公衆に開くかばかりが論じられており(意思決定は開かれていれば開かれているほど良い、という暗黙の前提)、どこまで、誰に対して開けばいいのか、その線引きはどうするか、専門性と政治的権利はどう折り合いをつければいいのか、といったことは十分に論じられてこなかった。これからはそういう研究(専門性と経験の社会学Studies of Expertise and Experience)が必要ではないか、と主張している。

今後の方向性については、これでいいのかという疑問はあるが、問題提起としては非常に面白いのではないかと。そして、技術的問題の意思決定の局面で、科学と社会はどのような関係であるべきかという視点から、これまでの科学論、科学社会学の先行研究をうまく理論的にまとめていると思う。

まず、要約。

 これまでの科学論の諸研究は、公共の場で起こる技術的問題が、科学・技術だけで解決できるとは限らないことを示してきた。特に問題なのは、政治的な意思決定に求められるスピードは、科学的合意のえられるスピードよりもずっと速いという点である。こうした中で近年では、意思決定に関与する人の範囲を技術エリートに限定せず、その外に拡げていくことで政治的正統性も高まる、という考え方が優勢になってきた。
 これに対して我々は、こうした現状を、「正統性の問い」が「拡張extensionの問い」に置き換わった状況だと考える。「拡張の問い」とは、専門家と公衆の間の区別をなくしていき、誰でも技術的問題の意思決定に参加できるようにするべきだという考え方である。この「拡張の問い」を扱うには、科学論の側でも新しい「第三の波」の研究、具体的には、専門知と経験の研究(SEE)が必要になる。
 SEEの課題は、まず専門性に関する規範理論を作り、技術的問題の意思決定に関与する二つの仕方、すなわち政治的権利と専門性を腑分けして理解することである。そこでは、専門性もいくつかに分類して理解する必要がある。まずは「対話できるinteractive専門性」と「貢献をなしうるcontributory専門性」の区別が重要になる。科学についても同様に類型化していく必要がある。
 本論文では、Brian Wynneによるカンブリア州の牧羊業者の研究などの事例研究を参照しつつ、こうした新しい理論的アプローチの意義を示す。このアプローチでは、公衆の関与が求められる場合と、そうでない場合とを区別して論じることが可能になる。Appendixでは、公共の場での技術的意思決定の問題を扱った先行研究について検討する。

以下は、本文のあらまし。参考の便宜のために人名は緑色にします。

正統性の問いと拡張/外延の問い The Problem of Legitimacy and the Problem of Extension

技術的問題の意思決定は民主的プロセスに委ねるべきか、最善の専門的アドバイスに従うべきか。どうすれば正しいやり方でよい意思決定をすることができるのか。技術的意思決定に参加する人・集団の範囲は、どこまで拡げるのが妥当なのか(政治哲学的な議論についてはStephen Turnerを参照)。

技術的問題の意思決定の例:狂牛病原子力発電、ヒトクローン、地球温暖化など。

科学知識の社会学(SSK)などによって「真理」の限定性が明らかになった今日では、「科学者だけが真理を知ることができる」とは言えない。それでも科学者だけが持っているもの、科学者だけが果たせる役割があるのは確か。ここでは、それを「専門性expertise」と呼ぶ。

われわれの関心は、あくまで学術的なもの。専門性をどこまで拡張するべきか決めるための明確な判断基準を見つけるのが目的である。

科学論のそれぞれの「波」を非常に大雑把に言うと・・・

  • 第一の波:科学論にとって正統性*1が問題になることにさえ気づいていなかった。
  • 第二の波:正統性の問題には気づき、技術的意思決定の範囲を拡げることで答えたが、その結果として拡張の問題が代わりに浮上した。
  • 第三の波:拡張の問題に答えようとするもの。

本論文で使う言葉、表現 Language and Presentation

この分野では「素人専門家lay experts」という言葉がよく使われるが(Steven EpsteinのAIDS研究)、これは素人なのか専門家なのか曖昧だからやめよう。公的な認証制度はないが豊かな経験experienceがあり、それに基づく専門性を持った人のことを、「経験に基づく専門家experience-based experts」と呼ぼう。

ある意味で我々の言語能力や社交能力も「専門性」と言えなくもないが、そんなことを言ってもややこしくなるだけなので、ここでは社会の中で限られた一部の人(スペシャリスト)だけが持つものだけを「専門性」と呼ぶ。

科学の社会的研究の第三の波 Three Waves of Social Studies of Science

第一の波(1950〜1960年代)

  • 科学の成功・発展を理解したり、説明するための社会的分析
  • 科学の妥当性の基盤が疑われることはなかった

第二の波(クーン以降)

  • 社会構成主義(social constructivism)、科学知識の社会学(Sociology of Scientific Knowledge)
  • 科学・技術も社会的活動の一つであり、そこには「科学外的な要素」が必然的に含まれるという考え方
  • 科学的知識が社会の各場面においていかに使われているか、に焦点が当てられて研究が進んだ
  • ただし、科学の「社会的構築」が論じられるときは、「専門家」という称号をどの立場がえるか、が分析の焦点となった。

しかし、知識社会学者たちは自然科学者の専門性を恐れるべきでないし、むしろ自分たちが知識の領域では専門家であることを積極的に主張していくべきだと思う。知識に関する概念を構築していくのは、他でもない知識社会学者なのである。(239-240)

第二の波は「第一の波は学術的にだめだ」と言って取って代わったが、第三の波は第二の波に取って代わろうとするものではなく、両者は共存していくべきものである。

この論文がやろうとしていることは、相対主義という氷壁を登り切るために、氷壁自体が砕け散らないように十分に注意しながら、登山用のくぎを打ち込んでいくような作業だとも言える(科学論批判者の多くは、氷を破砕することが唯一の解決策だと考えているようだが)。(240)

ここで問題となるのは、科学論者が専門家をどうやって識別するかである。誰が本当の専門家だったかは事が全部過ぎてからやっと分かるものだ、専門家かどうかという事後的なラベル付けなんてどうでもいい、という主張にどう応えるか。

まず言えるのは、実際の意思決定の際には、科学的合意が得られていなくても、誰が専門家かは政治的プロセスの中で決められているということである。あとは、科学論者がどう関わるかだが、私の答えは、知識社会学者は歴史の結果が出てから振り返るだけでなく(川下の視点downstream)、自分自身ある種の専門家として論争に参加してもよいのではないか(川上の視点upstream)、というものである。実際、人工知能AIの問題では、私(H. M. Collins)も論争に加わった。

第二の波のような相対主義も必要だが、それだけでは不十分である。科学は政治などの領域で、どのような形で正統性を認められているのか。なぜ科学はその知識の性格ゆえに正統性を認められるべきだと言えるのか。こうした問いに答えることが、第三の波の課題である。

中心となる研究者たち、中心グループ、その背景 Core-Sets, Core-Groups, and their Settings

中心となる研究者たちcore-set → 合意形成 → 中心グループcore-group

誰がコアかは必ずしも明確でない。論争がある場合、それは誰が内で誰が外かの境界設定(boundary-work)にも関わってくるから(Thomas F. Gieryn)。

秘義的科学esoteric science = コアの専門家でなければ議論に参加し、発展に貢献できないような科学

科学と芸術 Science and Art

アバンギャルド(前衛芸術)と秘義的科学はどこが違うのか。

アバンギャルドでは、芸術作品を作る能力(創造型の専門性)と批評眼の鋭さ(作品を体験するのに必要な相互作用型の専門性)は必ずしも比例しない(批評家、消費者の存在)。ところが科学の場合、論文を書ける人だけが論文を真に必要とし、そういう人でないと論文を正しく評価できない。

政治は秘義的科学にも内在している Politics is Intrinsic to Esoteric Science, not Extrinsic

秘義的科学の場合にも、政治的要因は科学に関わってくる。コアな科学者グループも政治性を有しているため(Steven Shapinの19世紀エジンバラにおける'big-P'の研究)。

注意するべき点は、科学のコアの部分にも政治性が内在していて、それが科学に影響を与えているからといって、科学の外部から政治性を持ち込むことが正統化されるわけでは全くないということ。

コアの外 Beyond the Core

コアの研究者たちはたえず議論しているので、確信にたどり着きにくく不確実性を重視する。これに対し、その少し外、科学コミュニティの内部だがコアの外にいる人は、容易に確信を持ちやすい(Donald MacKenzieのUncertainty Trough論)。

科学論の第三の波? The Third Wave of Science Studies?

第三の波の議論が重視するのは、意思決定に参加する資格として、専門家としての資格rightsと、利害関係者としての資格は明確に区別しないといけないという点である。それでは、両資格のバランスをどう考えるか。

コアの外にある広範囲の科学コミュニティは、意思決定プロセスにおいてなんら特別な役割を果たさない(果たすべきでない)。

専門家として参加する資格を持つのは、(公式に認証された)コアの研究者たちと、公式な認証の仕組みはないものの、経験に基づく専門性を有する専門家たちexperience-based expertsである。

専門性の性質 The Nature of Expertise

経験と専門性 Experience and Expertise

「経験に基づく専門性」概念について。経験を有することは専門性を持つことの必要条件ではあるが、経験さえあれば専門性を持つ、というわけではない。専門性を持つと言えるには、(1)そもそもその領域がニセ科学ではないこと、(2)その領域の中で専門的実践者としてのスキル・経験を有すること、の二つが同時に満たされることが必要。

専門性の3形態 Three Types of Expertise

まず、専門性には3つのレベルがある。

  1. 専門性なし
  2. 相互作用型の専門性:当事者たちと専門分野について会話ができるレベル(←科学社会学者のレベル)
  3. 貢献型の専門性:その分野の発展、知識蓄積に貢献できるレベル

一見すると、(3)を持っていれば(2)も自動的に持っていそうだが、そうではない。

Brian Wynneの分析したカンブリア州の農業者たちは、自分たちの飼っている羊の生態に詳しく、その知識を使えば放射能汚染から羊をできるだけ守ることが可能だったが、科学者たちは農業者たちからアドバイスを受けることに消極的だった。

ここで重要なのは、農業者たちが自らの科学(=よい牧羊)に貢献し、それを進めていく上では、科学者たちと対称的な形で対話する必要はなかったということだ。対話をして、学ばなければいけなかったのは、科学の専門家のほうだった。この非対称性は一見すると些末な点だが、ここから我々は専門性とは何か、そしてどのような社会的変化が必要なのか、を学ぶことができる。カンブリア羊の事例で求められていたのは、科学者と農業者という二つの異なる貢献型専門性を結び付けることだった。科学者の専門性を農業者の専門性によって置き換えることではなく、科学者の専門性に、農業者の専門性を付け加えることが求められていた。科学者と農業者が対称的な位置にいれば、科学者が農業者から吸収しようが、農業者が科学者から吸収しようが関係ないが、実際には両者の関係は対称的ではなかった。この事例で最善の結果を得るには、科学者は農業者の専門性を吸収するための相互作用型の専門性を持っていなければならなかった。しかし、彼らは相互作用型の専門性を持とうとも使おうともしなかった。

ここから導かれる命題は、

命題1:二つの貢献型の専門性を結び付ける際には、必ず専門性を提供する側と吸収する側があって、吸収する側が相互作用型の専門的能力を有している必要がある。提供する側は必ずしもその必要はない。
命題2:専門性どうしの結び付けがうまく行くかどうかの責任は、もっぱら吸収する側にある。
命題3:ただし、提供する側でも相互作用型の専門性を有する第三者が関わり、その第三者が代理して主張を述べることで、専門性の結び付けをより確かなものにすることは可能である。

この第三者としては、グリーンピースの科学者とか、Brian Wynneのような社会学者とかが考えられる。彼らは、農業者たちから専門的事柄を学んだ上で、それを科学者に伝わりやすい表現に直して伝える。こうした作業の重要性は、アメリカのエイズ患者が自らの立場を科学者に伝えるために、科学の言語を学んだという事例(Steven Epstein)からも見てとることができる。

関与型の専門性 Referred Expertise

大規模プロジェクト(重力波の検出など)でのマネージャーは、必ずしもそのプロジェクトに対して貢献型の専門性を有するわけではない。かといって、そのプロジェクトを観察に来る社会学者が持っているレベルの専門性(相互作用型の専門性)にとどまるわけでもない。マネージャーは、プロジェクトの管理運営という関連領域での経験に基づく専門性を持っていると考えられる。これを「関与型の専門性referred expertise」と呼ぼう。

翻訳 Translation

技術的意志決定を行う際には、二つの能力が少なくとも必要である。一つは翻訳能力、もう一つは識別能力である。

命題4:技術的決定を行うには複数の専門分野の間での翻訳が必要になるが、翻訳が可能になるための必要条件(ただし十分条件ではない)は、各分野での相互作用型の専門性を有していることである。

実際に翻訳がうまく行くには、相互作用型の専門性に加えて、ジャーナリストや教師のような能力も必要になる。

識別 Discrimination

識別能力とは、専門家が誠実に発言しているかとか、自分の専門分野以外のことに口を出していないかとか、専門家の発言がそもそも内部矛盾していないかとか、誰が専門家かとか、そういったことを識別する能力である。

特に専門家かどうかの識別が重要。これには、べつに専門分野について深く知っている必要はなく、明らかに専門家である人たちの社会的・認知的ネットワークとの距離から読みとることができる。

科学「一般」についての専門性など存在しない The Lack of Expertise of the Wider Scientific Community

各人の専門範囲の外にある事項については、科学者は何ら専門性を有してはいない。しかし、これまでしばしば、科学者は自分の専門外の事項についても一般人とは異なる扱いを受けてきた。これは大きな誤りであって、広い意味での科学者コミュニティwider scientific communityと一般人との間には何の境界もないと考えるべきだ。第二の波の議論は、科学者一般が持つ「科学的な思考法」のようなものでは科学は動いていないことを明らかにして、科学者一般が素人とは異なる能力を持つことを否定した。

科学者一般と公衆は大学のポストなどの公的な要素で区別できたが、コアグループの専門家と科学者一般とを区別するのは、実際にその分野の経験をしているかとか、それまでの経験、お互いがそう認めるかどうかといったインフォーマルな要素である。そのため、公的に認証された専門性と経験に基づく専門性という区別はここでは有効ではない。どちらも同じく、貢献型の専門性として捉える。

事例研究 Case Studies

相互作用を増やすべき事例:カンブリア州の羊、サンフランシスコでのエイズ治療

Brian Wynneの分析したカンブリア州の羊の事例。ここで重要なのは、農業者たちが技術的決定に関与するのは、彼らが羊の所有者であるという政治的権利を有するからだけでなく、固有の専門性を有しているからでもあるという点である。仮に農場の所有者がロンドンの証券マンだったとしても、なお農業者たちは決定に関与するべきである。

サンフランシスコのゲイコミュニティにおけるAIDS治療論争(Steven Epstein)。患者たちは科学の言語を学ぶことで(=相互作用型の専門性の獲得)、ようやく自らの利害を科学者に向けて主張することが可能になった。望むらくは、もっと容易に患者たちが利害を主張できるように、翻訳する中間グループが発展していくことである。

相互作用を減らすべき事例:核燃料運搬容器の衝突実験と航空機事故

第二の波の議論はみな同じ方向を向いていた;公衆の参加を増やせば、正統性の問題は解決する。しかし、実際はそう単純ではない。貢献型の専門性を持たない公衆の参加は減らしたほうがいい事例だって存在する。

核燃料運搬容器に電車がぶつかっても大丈夫、というデモンストレーション。一見すると、すごい衝撃にも耐えられるのだから安全、とも思えるが、このデモが実際のリスクを評価する上でどういう意味を持つかは、実験の細かい設定を理解できる専門家にしかわからない。

他方、航空機の燃料タンク引火事故の場合、見た目の炎の大きさほど、事故は大規模ではないことも多い。これも、専門家にしかわからない。

こういう場合に、識別できる眼を持たない公衆を参加させることは、専門家どうしで議論を深める機会を設けないまま、議論を打ち切ることを意味しかねない。専門家だけで議論するのが良い結果につながる場合もあるのだ。ここで言う専門家には、行政側の専門家だけでなく、運動側(Greenpeaceなど)を代表する専門家も当然含まれる。

相互作用を理解する:手品師とバンヴェニスト

常温核融合ホメオパシーとか水の記憶とか。超心理学parapsychologyとそれを利用する手品師たち。

こういうのを前にすると、コアグループによる科学的検討を経ないで直ちに「間違っている」と言いたくなるが、科学であるためには研究作業による裏付けが必要。これを安易に放棄して「間違っている」とご託宣してしまうのは、実際に研究しているコアグループとそれ以外のスペシャリストの区別を見えなくするので、できれば避けたい。

科学技術の諸形態 Different Types of Science and Technology

一般の人が使う技術なので、彼らが必然的に専門性を持つ事例:自動車、自転車、パソコン

地域的な利害の絡む技術なので、その地域の人が必然的に専門性を持つ事例:地域計画

秘義的科学と論争的科学 Esoteric and Controversial Science/span>

  • 通常科学normal science:明確なコアセットが存在する科学。
  • ゴーレム科学golem science:将来的にはコアセットができうるが、まだ十分に閉じていない状況の科学。遺伝子組み換え作物の食品安全性の研究や、狂牛病BSE)とクロイツフェルトヤコブ病の関係の研究など。科学の領分と政治の領分の間のバランスが重要になる。
  • 歴史的科学historical sciences:歴史的変化の問題を扱う自然科学。地球温暖化や、遺伝子組み換え作物による生態系への影響など。こういう複雑で反復しない問題については、明確なコアセットが形成されることは期待できない。
  • 再帰的・歴史的科学reflexive historical sciences:歴史的なうえに、人間の行為の結果によって影響されるような科学。地球温暖化もその例。

環境問題で論争が起こるとき、ゴーレム科学と歴史科学は、どちらも不確実性を抱えている点では共通しているが、ゴーレム科学では将来的に確実な知見が得られる見込みがあるのに対し、歴史科学はそうでない点で異なる。そのため、歴史科学では専門家と非専門家を融合させるような持続的な組織が重要になる。

結論

*1:正統性=意思決定が社会全体の中で、正しい、理にかなっていると認められること。