百姓から見た戦国大名

百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)

百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)

面白い。

戦国時代を、重層的な支配関係(村、荘園領主、守護、国衆…)・自力救済(各層での武力行使)の中世社会から、一元的な支配関係(将軍→大名→家臣→村)・訴訟制(成敗権・武力の独占、上による裁き)の江戸社会へと社会システムが変化していく時期として捉える視点が斬新で、興味深かった。

戦国大名たちの振る舞い(戦いをしかけるなど)を、「英雄」たちの「決断」とせず、領国の社会状況(生産状況、村との関係)から説明しようとする視点も◎(社会学的には)。

  • 過去帳=日付ごとに物故者が記載される台帳
  • 江戸時代の飢饉時では、春〜夏(夏麦・米の収穫前)に死者が増えている→餓死と推定される
  • 中世末期・戦国時代はどの年でも春〜夏に死者が多い→慢性的な飢饉状態
  • 上杉謙信の関東侵攻は、飢饉対策という側面も(飢饉の年の収穫後に侵攻)
  • 甲斐の武田家が対外戦争をし続けたのも(信玄の代になってから滅亡まで国外で戦争し続ける)、慢性的な飢饉状況を解決するため

自律的な政治団体としての村

  • 村が、自らを庇護するものとして領主を自発的に選ぶ
  • 村が守られなければ、一方的に関係を破棄し、領主替えする(年貢を納める相手を替える)。あるいは、逃散してしまう
  • 大名どうしだけでなく、村どうしでも日常的に戦争が行われ、死者が出ていた(領地争いなど)
  • 個々の村どうしが同盟を結んで援軍を送りあったりしていた(合力)
  • 村どうしの抗争がうまく収まらず、そのまま領主どうしの抗争に発展することもあった

大名の家臣(国衆)も、大名があてにならないと勝手に主人を替えたりした。

将軍から所領を与えられても、そこから無事に年貢を徴収して支配できるかどうかは、自力に依っていた。領主(守護や荘園領主)どうしの調整をするのが室町幕府、領主と村の関係はあくまで領主の問題。

こうした重層性が次第に一元化していったのが戦国時代。農民一揆や武将の寝返り、大名の代替わり、検地などはこういう文脈で理解しないといけない。

というわけで、面白い本だし、しかも読みやすい。オススメです。

ただ、記述がやや不正確、というか推測が突然混ざるところに少し違和感も。

戦国大名があれほどまで侵略戦争を続けた根底には、慢性的な飢饉状況があったとみても、的はずれではなかろう。・・・羽柴(豊臣)秀吉が、日本列島を統一した直後から朝鮮侵略を行ったのも、その延長であったとみることができる。決して秀吉の個人的な政治観や感情によるものではなかったに違いない。(58、強調は引用者)

うーん、そこまで言わなくてもなあ・・・。