スタンダードは優れものか:QWERTYとDVORAK

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今みなさんが使っているキーボードは、(たぶん)QWERTYと呼ばれる配列のものです。なぜQwertyか。それは、キーボードの上から2段目を左から順に読んでいくと、「QWERTY」になるから。

しかし、この配列はべつに何かの順番になっているわけではないし、とくに使いやすい配列になっているわけでもない。一番面倒なのは、「A」がなぜか左手の小指に割り当てられていること。これでは日本語ローマ字入力はもちろん、英語を入力するときにもすごく不便のはず。では、なぜこんな配列になっているのか。

一般に言われているのは、初期のタイプライターは性能が低く、速く打ちすぎると、ハンマー(文字を打ちつけるやつ)が相互干渉してしまうので、わざと打ちにくく並べたのだ、という説。

しかし、これは半分正しく半分誤り。正しいのは、たしかにハンマーが相互干渉するから、よく使うキーどうしをわざと離しておいてたという点。誤っているのは、「わざと打ちにくく」という部分。この配列はとくに打ちにくさを求めて作られたものではなく、よく使うキーどうしの干渉を避けながら、そのなかで打ちやすさをも追求したものだった。

たとえば、実験の結果では、QWERTY配列はアルファベット順に並ぶ配列よりもずっと速く打つことができる。もし打ちにくくしたいならば、アルファベット順にすればよかったわけだ。

また、QWERTYがスタンダードの地位を確立したのは、19世紀末にタイプ・コンテストでQWERTYキーボードを使ったタイピストが勝利し続けたからだとされている。このことからも、QWERTYが最善ではないにせよ、そう悪い配列でもないことがわかる。

ちなみに、QWERTY配列が採用された理由については、セールスマンが「TYPEWRITER」というのを速く打てるようにするためだ、という珍説もある(これらの文字はすべて同じ段にある)。

しかし、初期の段階では「R」のキーが今のピリオドの位置にあったので、この説は残念ながら見当はずれ。というか、当初はこんな外れたところに「R」を置いてたというのが驚きだ。一方で、QWERTY配列も、このような効率の悪さを改善するために工夫されてきたこともわかる。

このように、QWERTY配列は人間工学的に最善の配列ではないかもしれないが、そう悪くないからこそ、初期タイプライターにおける配列間競争に勝った、と言える。

だからといって、QWERTYが理想的な配列だとは限らない。1930年代に入ると、ワシントン大学の准教授Dvorak*1が効率的に入力できるキーボード配列を研究し、Dvorak Simplified Keyboard(DSK)を開発し、アメリカの行政府などに導入するよう売り込みをかけた。

Dvorakらが実施した実験では、20〜40%の作業能率の改善が見られたが、この実験には公平性の観点から色々と問題があったらしい。それで、のちにコンピュータ科学者や人間工学者が追試した結果、たしかに改善はみられたものの、その割合は5%〜20%程度が大半だった。(DvorakQWERTY以下だとする知見はほとんどない)

これくらいだと、Dvorakに移行する必要があるかどうかは、ビミョウなところになる。現にいまだにプロのタイピストの間でも、QWERTY配列が有力であるらしい。

そして、移行すべきかどうかという議論は、いまだに続いているようだ。インターネット上で検索しても、QWERTY派とDvorak派がいて、両者で言い分が異なっているため、何が真実か判然としない。

主として参考にしたサイトは、下の二つ。

Dvorak派で最も優れているのは、下記のサイト。著者である山田教授は、DvorakQWERTYの比較の問題の世界的権威っぽいです。

http://www.ccad.sccs.chukyo-u.ac.jp/~mito/yamada/

QWERTY派の主たる拠り所は、英語だが、LIEBOWITZ and MARGOLISの下記論文のようだ。

http://www.utdallas.edu/~liebowit/keys1.html

どちらか一方の言い分をうのみにするのはできないけれど、QWERTYDvorakよりも優れているということはないが、Dvorakの長所がわざわざQWERTYから変えさせるほどのものかどうかは議論の余地がある、といったところのようだ。LIEBOWITZ and MARGOLISはQWERTYのほうが優れている、というところまで踏み込んでいるが、そこはおそらく誤り。

キーボードの問題は、今では複雑な社会的文脈をはらんでいる。経済学革新の基礎事例として、そしてマイクロソフトの独占問題へ。QWERTYDvorakの問題は、キーボードの使いやすさという本来の人間工学的問題から離れた文脈で、今どのように取り上げられているか。

最初にQWERTYDvorakをコンピュータ界の外に輸出したのは、たぶん経済学者のPaul A. David。彼は、技術選択の経路依存性を示すための好例として、キーボードの問題をとりあげた。

P. A. David 1985 "Clio and the Economics of QWERTY", The American Economic Review 75(2):332.

技術選択の経路依存性とは、ある技術の選択が、技術自体の優劣とは無関係に、非本質的要因や偶然によって決まり、しかもいったん技術が決定された後は、いかにその技術の欠点が顕わになろうと、移行コストが大きいことによって、その技術から逃れられなくなることを言う。経路依存性の領域では、キー配列の話の他に、VHSとベータの話もよく例として挙げられる。

Davidは、QWERTYキーボードがDvorakと比べて劣っているにもかかわらず、いまだに生きのびている理由として、タイピストにとって、いったん憶えた配列を捨てて新しいキー配列を憶えるコストが大きすぎ、それゆえメーカーも他社と違う配列のタイプライターを出しにくかったことを挙げている。

では、そもそもなぜQWERTYはスタンダードになることができたのか。転換点は1880年代末ごろにあった。そのとき何が起こったか。Davidは、その頃にタッチタイピング、つまり8本の指を使って、手先を見ずにタイピングする技術が生み出され、それが決定的だったと言う。いったんタッチタイピングが普及すると、キーボード配列はどれか一つへと定まることになる。そしてそのとき、ちょうど売り出しをかけていて、タイプ学校に進出していたのがQWERTYだったというわけだ。

こうしたDavidの見解に対しては反論も存在する。キーボードをめぐってはいまだにQWERTY派とDvorak派の対立がある。QWERTY派の人間にとっては、Davidの見解は受け入れられないものだ。というのは、QWERTYが経路依存で今の地位を得たと認めてしまうと、QWERTYがとくに優れていない技術だと認めることになるからである。

また、そもそも、Davidが論文で書いているように、QWERTYが鮮やかなまでにダメ技術かといえば、そうでないと考える人も多い。Dvorakによる速度アップは10%以下という意見も有力だし。

さらに、経路依存性による封じ込め(lock in)効果は、合理的に判断する人間の能力に比べて弱い、とする経済学的な反論もある。こうして、Liebowitz and Margolisのような批判者が出てくるわけだ。(Davidも後の論文でこの批判を受け入れ、経路依存性の適用範囲を論じている)

これだけの話だと、キー配列の話は経済学へと転用されたけど、そこでも結局おなじような論戦が展開されましたとさ、で終わってしまうが、現実はそうもいかない。

実はこの話、スタンダード(技術標準)と独占の問題と関わっている。何かの技術が市場でスタンダードになり、他に選択肢がなくなった場合、その状態を、経路依存性によって深みにはまった悪い状態と見るか、競争状態のなかで優れた技術がたんに勝ち続けているだけで、しかも利用者は無駄なコストを節約できている状態だと見るか。

今のパソコン界では、そう、マイクロソフトの問題になる。マイクロソフトの市場独占を善と見るか悪と見るか。これとQWERTYの話がばっちり結びついてるわけだ。くだんのLiebowitzたちもQWERTYの論文を発表した後、マイクロソフトのアンチトラスト法訴訟に関与し、マイクロソフトを擁護する論陣を張っている。

http://www.independent.org/store/book_detail.asp?bookID=50

そこでは、QWERTY配列は経路依存といわれるけれども実は違って、本当に優れているから採用されているのであり、同様にMS製品も・・・という形で、マイクロソフトを擁護するための根拠になっていたりする。

うーん、QWERTYDvorakの対立は純粋に技術的なものだと思っていたが、実はけっこう根が深く、政治的な問題をはらんでいることが判明。

まあ、ローマ字入力などというきわめて不合理な入力法を採用している、我々日本人から見れば、QWERTYDvorakの違いなんてゼロに等しいんですけどね。

*1:「ドヴォラック」と読むらしい。作曲家のドヴォルザークと同スペル。