バカとソクラテスとビジネス本

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

前に読んで、放っておいたんだけど、takemitaさんにつられて。

http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070520/p2

amazonの書評などで高く評価されているだけでなくて、バカとは思えない人が意外と高く評価しているこの本。なんでだろうなあと思いつつ読んでみたんですが、名著とは決して言わないけれど、何か見どころはある本だと思うのですよ。

まず、次の二点を受け入れるのが重要かと。

  1. 解剖学や脳科学の本では全くない
  2. というか、脳や思考の一般的メカニズムの本でさえない

この人の経歴とか、たまに出てくる自然科学的な物言いとかに騙されてはいけない。この点をわかっていないと、なぜこの人は脳科学者なのに、こんなでたらめな脳の議論をしているんだろう、と思うだけで終わってしまう。

これはあくまで、(かつて一度は)専門を持った人が、専門でないところで書いた本だと理解する必要がある(この点については、あとでもう一度触れます)。

では何の本なのか。ポイントはただ一点。わかっていない人ほど、わかっていると思いこむ。本を読んだだけでわかった気になる、知ったかぶりが一番の困りものである。このことを、手を変え品を変え書き続けているのが本書であり、y=axとかそういうのは説明の手段にすぎない。

本書のテーマが一番はっきりと現れているのは、冒頭の部分*1

大学の授業で、ある夫婦の妊娠から出産までを追ったドキュメンタリー番組を男女の学生に見せたところ、男子は「すでに知っていることばかり」という感想、女子は「大変勉強になった」という感想だった。ほんとは、男子のほうが、妊娠から出産までについて多くの知識を持っていたというわけではない。むしろ、女子のほうが始めから詳しかったはず。では、なぜこういう結果になったのか。

養老は、男子は妊娠→出産というあまり知りたくない情報を自分から遮断して、「バカの壁」を作ってしまっているからだ、と議論している。女子は、いずれ自分がするかもしれない妊娠・出産の実態について強い関心を抱いていることが多い。これに対して男子は、関心がなくて知る意志がないだけなのを、「すでに知っているから」と自己正当化している。「知ってる知ってる」と思いこむことで、ほんとは知らなかったことを知るための絶好の機会をふいにしてしまう。

この事例から描き出される「バカの壁を作る」ことの恥ずかしさや馬鹿馬鹿しさは、なかなか重要な指摘・人生訓ではないかなあ、とは思うのです。

***

養老の議論から少し離れて考えていくと、知らないくせに知っていると思いこむという問題は、ソクラテス以来論じられていることで、人文・社会系の人間にとっては何ら目新しいものではない。

ここでの新しいポイントは、ではかく言うソクラテスが何を知っていたかと言えば、(意味のあることは)何も知らなかった、という点である。養老がやたらに自然科学的な見方や、実体験のエピソードを繰り返すのは、この点を強調するためだ。ソクラテスが知っている(つもりな)のは机上の空論ばかりであって、それでは料理ひとつ作れない、タンスひとつ作れない。「無知の知」なんて議論ばかりしている人間こそが、自分がほんとは大事なことを何一つ知らないことに気づいていないバカの典型例なのである。

これは、たとえばサッカーをテレビ観戦していて知った気になっている人と、ほんとのサッカー選手の違いにも対応しているのかな(養老自身も、こういう例を挙げていたような)。

ざざっと一般化すると、人の知識の状態、知識への接し方は3つに分けられる。

ちゃんと知っている 知った気になっているが、実は知らない 知らない
専門家 評論家 素人
熟練サラリーマン 入社1〜2年目の人、知ったかぶり ふつうの人
理系 文系(科学論者、社会学者) 非学者
企業・社会運動(・学者) (2〜3年でローテーションする)高級官僚、マスコミ 一般市民
プロのスポーツ選手 スポーツ観戦マニア ふつうの人
実験・フィールドワークの達人 教科書バカ 入門者

こうやって考えてくると、本書が世のビジネスマン・サラリーマン(やその予備軍、リタイヤ組)に広く受け入れられたのは、非常によく理解できるね。

ビジネスマンはだいたい自分が本業・専門とする事柄を持っていて、それに自信と誇りを持っている。その事柄について、新人さんや、社外の評論家風な友人に知ったかぶりされたり、知ったかぶりの上に批判までされたりすると、非常に腹が立つ。本書はその怒りのわけを説明し、怒りが正当なものであることを教えてくれる。

ここで大事なのは、養老さんも(たぶん)解剖学という本業・専門を持っていて、その上で、専門を持った人から見た、知ったかぶり人間の弊害を書いているということ。実業や専門的知識、技術を持たない人間が、バカの壁について何を語ろうが、それは言葉の世界しか知らない、知ったかぶりのソクラテスでしかない。本業のある人が語ると、本業のある人しかわからない(はずの)人生訓を語っているという重みが出てくる。ここでは、少なくとも一つは、ほんとに知っていることのある人でないと、ほんとに知っている人の気持ち(知ったかぶりへの怒り)はわからない、という認識が根底にあって共有されているのである。

これは本書に限らず、ビジネス本全般に言えるよね。ビジネス本はだいたいの場合、実業的な専門のある人が、専門以外の事柄(処世術とか人生訓とか人間観察とか)について書くものである。専門は人によって違うから、それについて語るべきことはないけれど(ここで専門については語らないのが重要)、プロだけが抱える、にもかかわらずプロフェッショナルではない部分の悩みについてはアドバイスできるかもしれない。この構図がわかっていないと、何であんなものが売れるのかが理解できないのである。

まあ、このメインテーマには収まりきらない「おじいさんの雑感」が満載なので、すんなりとは入ってこないし、その中にはこのおじいさん自身がバカの壁を作っている(知らないのに知った気になっている)としか思えない箇所も少なくない。しかし、それでもこの本が売れたのはわかるし、売れる価値がある本だろうなあとは思うのです*2

*1:たしかこの本は著者が話したことを編集者が再構成したもので、いい部分が最初に来て、どんどんグダグダになっていく傾向がある。

*2:特に、ある意味では知った気になるのが仕事である社会学者としては、自戒をこめてそう思わざるをえない。