カート・ヴォネガット

われわれはなにかのふりをするとそのものになってしまう、

だからなにのふりをするかは慎重に選ばなくてはいけない。

訳者(池澤夏樹)あとがきにある、ヴォネガットの言葉。なんか身につまされるなあ。「役割演技」で済まされるほど、世の中うまく行かない。

ヴォネガットは、小説というよりは「道徳の教科書」としてけっこう好んで読んでます。すべての記述・エピソードが古くさい道徳(1960年代的、とでもいうか*1)を体現している。

世の中どこも意図せざる(皮肉な)帰結だらけというか、諸行無常というか、そういう感じの寓話が盛りだくさん。なんだかんだ言って人間だって精神だって、しょせんは物質であるとか。あとは、戦争ってよくないなあ、とかそういうの。

トラウトの物語から思い出すのは、わたしの死んだ大叔母のエマ・ヴォネガットが、中国人は大きらいといったときのことだ。大叔母の娘婿で、ケンタッキー州ルイヴィルで《ステュアート書店》を経営していた、やはり故人のカーフュート・ステュアートが、彼女をたしなめた。そんなにおおぜいの人びとを一度に憎むのは邪悪なことだ、と。(出典忘れた)

このピントのずれた即物性?がなんか良いのです。きわめてモラル的+即物的という点で、自分の中ではフランクフルト学派(ホルクハイマーあたり)と同じカテゴリーに分類されている(どちらも好き)。

小説の形式としては、思い出したことを思い出したままに書き連ねたような断章で書くのが特徴か。ストーリーをいったんばらばらにして、それを時系列とは無関係な連想によってつなぎ合わせる感じ*2村上春樹の「風の歌を聴け」?は、ヴォネガットと同じような文体を使っているんだけど、モラルが弱いので、自分としては違和感があった。

邦訳されているだけで10冊強の長編を書いているけれど、中身はどれもだいたい同じ。上で挙げた「母なる夜」、著者の原体験であるドレスデン無差別爆撃を扱った代表作「スローターハウス5」はどちらもやはり力作であり原点だが、ふつーに読む分には、読後感がさわやかな「青ひげ」が個人的にはオススメ。

青ひげ (ハヤカワ文庫SF)

青ひげ (ハヤカワ文庫SF)

*1:しかし、当時すでにアンディ・ウォーホルか誰かに「時代遅れ」と言われていたような。

*2:つながらないところは「エトセトラ」とか書いて、むりやり別の話題に飛ぶ。