考古学と美術鑑定

考古学はどう検証したか―考古学・人類学と社会

考古学はどう検証したか―考古学・人類学と社会

日本の考古学を揺るがしてきた捏造・誤認問題の数々を取り上げ、それらを再検証していく論文集。

考古学というのは、年代推定にせよ真偽判定にせよ、きわめて情報の少ない中で確率の高い方を推定していく学問。「炭素14年代」とかの自然科学的手法も、結局推定の一つの道具にすぎない。

著者は「批判と検証の精神」「科学的精神」という言い方をするんだけど、情報がとぼしい中でいろんな要素(発見経緯の信憑性とか時代考証とか自然科学的鑑定とか)を総合して、えいっと決定する点で、やっていることは科学研究よりもむしろ、美術で贋作を見分ける手際に近い気がするなあ。

にせもの美術史―鑑定家はいかにして贋作を見破ったか

にせもの美術史―鑑定家はいかにして贋作を見破ったか

*1

美術の鑑定でも、自然科学は道具として使えるところでは使う。でも、全体としては情報は絶対的に不足している。その中で、証拠のバランスを測って真偽を決める(じつは第一印象が一番大事らしいが)。

自然科学的な鑑定については、優れた解説書が出て鑑定法が普及すると、必ずそれを欺く方法が贋作者によって開発されてしまう。たとえば紫外線ランプを使った鑑定法は、そのわかりやすい教科書が出版されたために、贋作者もそれを欺く方法を編み出してしまった。こういったことは、考古学でも十分に起こりうる。

あと、美術でも考古学でも「世界はだまされたがっている」。ほしいほしいという気持ちが強ければ、だますのは簡単である。

ただ、美術鑑定では、売買の際にたえずひっくり返される危険性があって、それが大損害につながる恐れがあるけど、考古学ではそういうのは少ないのかな。いったん受け入れられてしまえば、再び検証にさらされることは稀である。


著者の師匠?の直良信夫(1902-1985)について書いた第V部は、ねつ造や考古学の科学性という文脈を超えて面白い。

直良氏は「明石原人」の使った旧石器を発掘したのに、学歴がないから考古学界では認められなかったとされているが(松本清張の「石の骨」)、あらためて調べてみたら、やっぱりそれは石器ではなくて自然石だった。

・・・といったような再検証が中心線なのだが、その中で、直良の考古学への熱い思いとか、直良をめぐるさまざまな人間模様とか、考古学者たちの葛藤だとかが、じつに鮮やかに描かれている。分厚い本なので、ここだけでも読むのが吉かと。

*1:この本(著者はメトロポリタン美術館の元館長)も非常に面白いので、近いうちに詳しく取り上げる予定。