いじめ相談の共同幻想
いじめを親や教師に相談して解決を図ると、結果として一層いじめが悪化・陰湿化することになる、としばしばまことしやかに語られている。でも、これって本当なのだろうか。
いじめ相談によるベネフィット
- 一時的にはいじめの頻度を下げられる可能性が高い
- いじめの頻度は変わらないにせよ、程度をエスカレートさせない(チクられても大丈夫な範囲に抑える)
いじめ相談によるコスト
- 相談によって失う時間・エネルギー
- いっそういじめが悪化するリスク
相談すること自体のコスト(面倒くさい、気が重い)を差し引けば、いじめの被害を軽減・抑止する場合のほうが圧倒的に多いのではないか。長期的には元に戻るという可能性はかなり高いけれども、相談しなかった場合と比べてはっきり悪化することは稀だと思う。
にもかかわらず、いじめる側と、かつていじめられていて、相談しなかった人たちが、結果的に共同歩調をとって、あたかも相談すると事態が悪化しがちであるかのような認識を生み出していないか。
いじめる側にとっては、相談すればいじめを悪化させる、という脅しは有効。また、相談されてしまった後で、相談したことを口実にしていじめを加えることで、さらなる相談を抑止しようとする。
しかし、実際に相談された場合に本当にいじめを悪化させることができるか。もう一度いじめた場合に、また相談されて、一定の制裁を受けることが見込まれる。ある程度以上の制裁(いじめた側の親が呼び出される、とか)があれば、再びいじめるのはあまり合理的でない。特に金品・物品に関わるような犯罪的な行為はしづらくなると思う。
事実関係から見れば、いじめは「相談」のような短期的・一時的要因によって生じているのではなくて、「いじめっ子−いじめられっ子」の人間関係などから生じる持続的・構造的なもの。相談していなかったとしても、他の理由で同程度以上のいじめが加えられていた可能性は高いわけです。
他方、元々いじめられていた側にとっては、相談しなかった当時の自分を正当化したいという心情は自然。「相談しなかったのが悪い」というのは、どう考えても到底受け入れがたい。
実際は、恐くて恐くて相談するどころじゃないわけだけど(それに、上手に相談するには一定の交渉能力・社会的スキルが必要だが、子供には難しい)、なぜ相談しなかったのかと問われれば、事後的に合理化して、相談すればいじめが悪化すると思ったと言わざるをえない。
相談して一発で解決する可能性は高くないにせよ、相談することで事態が悪化することは少ないと思うんだけど、どうなんだろう。もし可能ならば(もちろん不可能な場合も多いわけだが)、面倒でない範囲で地道にいじめ報告・相談をすることで、状況は改善していく気がする(なかなかゼロにはならんだろうけど)。
特に、大がかりな手を打って一発で解決しようとしたり、告発手段をエスカレートさせるのではなくて、直らなかったらもう一回相談するぞ(同一手段の反復)、という姿勢が重要ではないかな。
って、いったい誰に向けてアドバイスしてるのかよくわからないが、とりあえず元いじめられっ子たちは、相談すると事態が悪化するかのような共同幻想を打破する方向で発言していくのがいいと思うんだけど、いかがでしょう*1。